忍者ブログ
日々見たものや思ったことがらをだらだらと
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

関西圏にお住まいの方はご存知でしょうが、
例によって今夜も雨だった訳ですよ。
しかもかなり強い目の。
予報では日中に向けて徐々に雨は弱くなってゆくという事になってますが、
記事を書いている今現在も一向に雨が上がる気配はなく…
下手をすればまた夜間まで継続しそうな雰囲気もあります。

と、言いますか今週いっぱいから週明け辺りまで、
何やらグズグズした天候が続きそうなんですよね。

カメラを持ち出せないような雨が続くようであれば、
当然写真のストックも枯渇してゆきますし、
雨天時の徘徊コースで語れる事にも限界があります。

そうなれば蔵出し以外の方向性も思案&模索せざるを得ません。

ですので今回はこれまでとすこーし趣を変え、
映画のお話でもしてみようかと思います。


深夜徘徊を期待されていた方には申し訳ございませんが、
しばらくお付き合いお願い致します。


「HOUSE ハウス」 東宝 1977 監督:大林宣彦
いきなりですがワタシ繰丸の通っていた中学校は、
地元でも結構有名な不良校でした。
他校のそれ系の方に絡まれても、
学校名を出せば相手が尻込みしてしまう…と、そんなレベル。

ですので大凡の場合、出身校がそこだと言うと
「え?あそこに通ってたの?」みたいな扱いをされちゃう訳です。
とまぁそんな中学校ですので、
バットを振り回して窓ガラスを割りまくる人がいたり、
校庭でブリバリブバリとエンジン音を垂れ流しながら
単車(無免)を乗り回す人がいたりと
日々スクールウォーズなバイオレンスの嵐が吹き荒れていた!

…などと云うこともなく。

そういった最盛期はすでに数世代前の過去となってしまっており、
繰丸が通っていた頃にはちょっとその残り香があるかな?
ぐらいの雰囲気こそあるものの、
割とふつーーな学校生活が待っているだけでした。
ただ、そういう過去があるからなのかどうなのか解りませんが、
音楽の時間に教科書の扱いもそこそこに先生の自作プリントを使って、
長渕剛さんや松山千春さん、中島みゆきさんといった方々の曲を
授業に用いたり、
アニメや映画や舞台を観る行事がわりと多めにあったり…
と、なるべく生徒側の身の丈の興味に
寄り添い易い物を授業に取り入れていこう!
みたいな感じが伺えるような、
何やら独特な校風みたいなものがあったような気がします。
(もしかすると、当時の先生方の趣味丸出しだっただけだったり、
だいたい他所の学校も同じでそれそのものが
世代的な空気だったのかも知れませんけども…ね?)
さて。
ここでやっと本題へと入ってゆく訳ですけども。
だいたい学校行事で観る映画といえば、反戦物であったり
それこそ授業での使用を前提に作られた道徳教育的な作品であったりと、
イカにもな物が多いのが当たり前だと思う訳ですが、
我が母校では何故かそういう教育的要素とは
まるっきり関係ない映画を上映したりする訳です。

そうです。今回取り上げる『HOUSE』と繰丸との出会いはなんと
学校行事としての上映会だったのです。

そもそもこれを学校行事で上映するというだけでも
割と驚きだと感じる方も多いと思われますが、
なんと恒例の学年行事化していたらしく
確認できている範囲でも少なくとも繰丸の卒業後2年ほどは
続いていたようです。
しかしなぜ『HOUSE』をそんな扱いにしようと思ったのか当時の先生方…?

それはともかく初見のインパクトといえば凄まじいものがありました。

当然、上映会後しばらくは音楽室のピアノの鍵盤のところの蓋で指を挟んで「メロディ~」などと叫んでみたり、
「待って!」「まかしとき~」みたいなやりとりが局地的に流行ったり『HOUSE』の話題で持ち切り。
内容の話をあれこれ掘り下げて話が盛り上がるという事こそ
あまりなかったようですが
「何だかよくわからないけどすごい物を観た」的な、
そんな熱気みたいなものがクラス内にあったのは確かでした。

繰丸自身も「これまた変な映画だなー」という印象が
何より強かった訳ですが、
正体不明の興奮があった事はハッキリ憶えています。
空調もなく、秋口ごろでまだうっすら汗ばむほど暖かくて、
砂埃の臭いがする空気が篭った講堂。
セットされたスクリーンに映し出されるドギツクもどこか郷愁に満ちた、
血の色とも夕日の色ともつかない赤い色を帯びた映像世界に
ビビッドに反応して沸き立つどよめき声。
ちょっぴりエロスでグロテスクでコミカルで
どことなくチープ(この場合キッチュと表現すべき?)で…

当時確か中学二年生だったかと思いますが、
間違いなくここで何か刻みつけられた物があったようにも思います。

そんな具合にまだ瑞々しかった思春期の脳髄に
ガッツリこびり着いた『HOUSE』という映画。
これまで友人等と映画トークをする機会というものは
幾度となくあった訳ですが、
意外にも話が通じない事が多かったり、
他の方から名前が挙がったりしなかったりするんですよね。
監督もあの尾道三部作の大林宣彦さんということで知名度的にも
充分な大御所の作品であるにも関わらず。
(もしかすると繰丸の狭い狭い交友関係の問題の可能性カシラ?)

もしかして世間的には日陰者的でしかないのか?
自分はまだ未成熟な時期に観たせいで、
インパクト一点突破で中てられてしまっただけだったのか?
所謂青春の幻影というヤツだったのか?

確かに大まかな話の筋立てと
印象深い場面(ショッキングな物が主)を断片的に憶えてはいるものの、
映画としてトータルで観た場合どうなのか?
その辺り思い返しても自信がない…

と、いう事で近年何やら思い立って観返してみたのが
今回のお話の発端な訳ですが。
最初にパッと思い立ったタイミングでは、
ちょっとお高めのDVD(まだCDと同じケースに入ってた時代に
発売されたもの?)しかなくちょいと尻込み。
しかしいつの間にやらなんとも便利な時代になってたようで、
ネット配信ならほんの数百円で視聴することが可能だったり。
物理的なレンタルDVDのように借りに行ったり
返却しに行ったりという手間さえなく、
座したまま色んな映画を観る事ができるなんて…
これは…ありがたい!

そんなこんなで無事数XX年ぶりに
映画『HOUSE』と繰丸は再会した訳なのですが…ナニコレ面白い!
断片的な記憶を元に漠然と描き続けていたイメージのそれよりもずっと。
と言いますか、「これはすごい」などとか言いつつ再視聴するまで
微妙に低く見積もってるところがあった自分を
大林監督に謝罪して土下座したい気分に。

いやはやごめんなさい。
かなりマジでごめんなさい。

お詫びに可能な限りこの映画の魅力を他の皆様に伝えられるよう
がんばりますのでここはひとつ平に平に…
これが犠牲者になる仲良しグループの皆さんです
はてさて、自分語りはこれぐらいにしてまず大まかなあらすじをば。

これはある夏休みの出来事。
高校生のオシャレ(名前)ちゃんは、
久々に帰国してくる大好きなパパと一緒に
例年通り軽井沢の別荘にレジャーに出かける約束をしていましたが、
パパはなんと突如見知らぬ女性を連れて帰宅。
「彼女は新しいママになる人だ」などと言いだした物だから
オシャレちゃん大反発。
軽井沢行きを蹴ってすっかりフテクサレてしまいます。

一方、オシャレちゃんの仲良しグループも
夏休みには先生引率による合宿を予定していましたが
こちらも宿泊先の目処が立たなくなり予定がご破算に…
そこでオシャレちゃんはみんなに提案します。
「私と一緒に田舎のおばちゃまのところへ遊びに行かない?」と…

おばちゃまとはオシャレちゃんの亡くなったママのお姉さん。
今はほそぼそとピアノ教室をやりながら
ママの実家で一人暮らしをしているというお話。

オシャレちゃんは早速手紙を送り、
10年ぶりにおばちゃまを尋ねる事となります。
ファンタ(名前)、マック(名前)、メロディ(名前)、スイート(名前)、
ガリ(名前)、クンフー(名前)ら、仲良しグループの女の子たちと共に。
おばちゃまのところへ行く事を決めたあの日、
どこからともなくオシャレちゃんの前に現れた白い猫に誘われるように…

ここまでがお話の導入部な訳で、おばちゃまのお屋敷に到着してから
いよいよ本筋がスタートします。

本作のジャンルはホラー映画であるということで、
ここまでのあらすじから多くの方が想像されているであろう通り
「旅行先で奇怪な事が起こり、主人公ご一行がひとり、
またひとりと消えて…」という展開を見せる訳ですが…

しかし、この『HOUSE』。そんな風にジャンル的に実に王道かつ
ストロングスタイルな展開でありつつも、
実に代え難い独特の空気感を放っています。

怖い目に合うのが女の子のグループということで、
コレまた定番ジャンルであるアイドル系ホラームービーとも
大枠は同じ訳なのですが、
それともまた趣が異なるのです。

ではその独特の空気の正体とは何なのでしょうか?
おそらくそこにこそ、『HOUSE』という映画の魅力の真髄が
あるのではないか?などと繰丸は思う訳なのです。
実に尖った映像造りしてます
この映画が紹介される時、
ホラー色よりもコメディ色の方が前面に出た話になることが
わりかし多いように見て取れます。
(あくまで繰丸調べですから「気がします」とすべきでしょうか?)
繰丸自身もXX年前に観た記憶からのイメージでも、
コミカル成分が比重的にもわりかし濃い目だった印象が
確かに残っていました。

実際に観直してみても確かにその記憶内のイメージの通りであり、
登場人物の軽妙な掛け合いや、
これは大林監督のサービス精神の表れなのでしょうか?
画面内のちょっとした仕掛けといった演出の端々に
笑いを誘うようなエッセンスが仕込まれています。
ならばこの『HOUSE』はホラー映画ではなくコメディ映画なのか?
と問われれば「否」であり、
ではスラッシャー物やゾンビ物などのジャンルムービーでよくある
ホラーコメディなのか?
と問われても、これもまた「否」。

かといって純然としたホラー物なのかと言われると…???

そんな具合にナンとも実に不可解かつ独特な距離感、
空気感で作品が成立している訳です。

例えば、オシャレちゃんご一行がおばちゃまのお屋敷に到着してから
わりと早々に一人居なくなってしまうのですが、
他のメンバーはと言えばわりと呑気にしており、
冗談交じりに実に軽~いやり取りを交わすのみ。
つまり平常運転なのです。

「とんでもない非常事態からの生き残り」という事を意識して
ピリッとした空気になるのは、
すでに犠牲になった友達等の「死」を実際に目の当たりにして以降。
それまでは兎にも角にも呑気かつ楽天的に
「それはちょっと強引じゃ?」レベルの理屈なども駆使して
「何も問題ない」状況を納得しようとします。

個性豊か(とはいえ持ち味が発揮されないまま
退場しちゃう娘もいますが…)に描かれる彼女たちが
織りなす「ちょっとズレた」言動の数々。
ただそれも単純にオフザケ要素として当て嵌められた物ではなく、
あくまで「一つのリアリズム」として扱われている事が、
そういったものをコミカル要素という枠で留まらない
『HOUSE』特有の個性として
昇華させているのだろうと繰丸は思うのです。

考えてもみればオシャレちゃんご一行の認識としては
普通に遊びに来ているだけのそれであり、
当たり前の日常の中の延長線上にある訳です。
画面の外側にいる、今起こっている事の全体が見える
神の視点を持つ視聴者の目線とは
明らかに違う位置にある訳で、彼女たちの日常という目線からすれば、
今スクリーンに映しだされている数々の怪現象については
「普通に有り得ない事」でしかないのです。

タイムスパンとしても物語全体で大凡半日程度の出来事でしかなく、
故に友達が急に姿を消しても
「どこをほっつき歩いてるんだろう?」や
「お腹空いたら戻ってくるだろう」止まりだったり、
不自然な事が目の前で起こっても自分たちが知りうる範囲で
納得する材料を探し、整合性を考察するしかないのです。

これは終盤も終盤。
色々あった後にオシャレちゃんと再会したファンタちゃんの言動からも、
そういったズレが意図的に描写されているものだということが
解ると思います。
(といいますかこのファンタちゃん。
メンバー中もっとも初めに非現実的な「有り得ない」現象を
目の当たりにしていて、
実は比較的スクリーンを観ている側の認識と近いところから
スタートしているにかかわらず、
ああいう感情に帰結するところも一筋縄では行かない感じです。)

友達の身内の家にレジャーに来てまさか人死が出ている、
もしくは何か恐ろしい事が起こってるなどと
パッと頭は回らないものでしょう。

つまり、事前にこれから何かが起こる事、
そして実際何か起こってる事を知っているスクリーンの外側と、
実にマイペースに状況をレジャーに来ているという感覚のまま
エンジョイしてるだけの作品の内側との「リアリズム」のズレ。

大林監督独特の遊び心溢れる色彩感覚や
映像センスも当然その一翼を担っては居ますが、
その不思議なズレた距離感こそが『HOUSE』が持つ、
実に形容しがたいオンリーワンと言っても良い作風を
紡ぎだしているのです。

と、繰丸は訴えたい訳ですが、どうでしょう?
さて、この「画面の向こう側のリアリズム」に絡んで
実はもう一つお話しておきたい事があります。

『HOUSE』が制作されたのは1977年ですが、
その「リアリズム」の軽妙さと、
表現としては実に振り切った感のある映像作りというものは、
この直後に続く80年代に大量生産されることになる
アイドル映画の先触れであり、
この『HOUSE』こそ
後続するそれらの方向性を定めた作品ではなかったのか?と。

それまでのスター、タレント映画的なそれとは
明らかに別の系譜がここから始まったのではないか?
さらにさらに言ってしまえば、細かい表現要素等のみを抽出してみても、
後続の諸々の娯楽、それこそ映画という枠組みを問わず
他の様々な娯楽ジャンルに対しても、
大なり小なり、はたまた間接的なりに、
影響を与えているのではないか?などと思う訳なのですね。

やはりそういった意味でもこの映画はもっと多くの人に観られ、
評価されるべきなのだとこれまた繰丸は強く強く主張したい!!

ここまで書いてから思い返すに冒頭で触れた
「何故中学校の学校行事の上映会で”これ”?」という疑問にも、
なんとなーくですが解がわかって来たような気がします。

映画に限らず、何かしら後へと繋がる源流となる作品には
相応のパワーがあります。
多少荒削りであったり、
大凡不完全に近い歪なものだったりするケースも多いのですが、
心を強く惹きつける引力のようなものがあります。

つまり繰丸の母校で『HOUSE』という映画を
校内行事用にチョイスするきっかけを作った先生は、
きっとこの個性の塊とも言える映画作品を、
生徒たちがまだ感性の瑞々しい、
先入観といったものが凝り固まる前の柔らかい頭でいる内に
観ておいて欲しかったのではないか?

毒々しくも美しく、奔放なる原石の煌きみたいな作品を
見せたかったのではないか?

そんな風に思いもするのですが、
単に先生は池上季実子さんや大場久美子さん、はたまた
神保美喜さんのファンだったというだけの話のかもしれませんけどね!

今となっては真相を伺い知る事も(知る意味もないといえば…まぁ…)
できませんが、
少なくとも繰丸の心の中でもひとつの「事件」として
残り続けているのは確かです。

そういう意味で繰丸の原点…といいますか、
どこか原風景のようなものでもある映画という事もあって、
新しい試みの第一回目として『HOUSE』について書いてみよう
などと思った訳なのですね。

奇特にもこの取り留めのないお話をここまで読んでいただき、
また『HOUSE』という作品に興味を持っていただけて、
その上でご自身でさらに調べてみようかなー
などと思っていただける切っ掛けの一つでもなれば幸いでアリマス。

奇しくもつい最近お求めやすいお値段のDVDも発売されましたし、
各配信サイトでの取り扱いもされておりますので、
ご興味のわいた方は
おばちゃまの田舎へお嫁に行ってみてはいかがでしょうか?


とまぁこんな感じでやってみた訳ですが、いかがでしたか?

今後も雨天時は写真の蔵出し共に
時々こういった映画などのお話もしてゆこうなーとか考えています。


では今回はここまで。
お付き合いありがとうございました。
PR
PREV ←  HOME  → NEXT
Copyright (C) 2019 いまさらなハナシ All Rights Reserved.
Template Design by kaie
忍者ブログ [PR]