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日々見たものや思ったことがらをだらだらと
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「DEAD END」 クロックワークス 2003 監督:Jean-Baptiste Andrea/Fabrice Canepa
どんなものでもそうですが、人手や手間がかかる事というのは
それ=お金がかかるというお話になります。

いやはや、いきなりしょっぱなから生臭いお話すみません。

なぜこんな話題からスタートしたかと申しますと、
「どんなものでも」と最初につけています通り、
これは映画製作という分野でも決して避けては通る事のできない
命題であるからです。

では「人手や手間がかかる」とは何を指しての事なのか?

まぁ何かを作るという事においては
全般においてそうであるという話でもある訳ですが、
ざっくりとここという要素を挙げてみるとするなら、
まず何より製作に関わる人間の頭数です。

これはスタッフ、キャスト双方含めての話ですね。

ここは家族と同じと考えてください。
大所帯になればなるほど日々の食費や光熱費がかかるのは、
想像するまでもないお話でしょう。

続いて手間の部分ですが、
機材やプロップの調達、運用といったものはもちろんの事、
ロケーションも手間に含まれる部分と言えると思います。

これらも人と同じくその数、量に応じて負担が嵩んで行きます。

最初から当て込まれたメジャー作品であれば、
人も手間も潤沢にかける事ができるものですが、
そうでない作品は常にそれらとの鬩ぎ合いの中で、
様々な取捨選択を迫られます。

いえ、メジャー作品にそういう事とは無縁であるという
そんなお話ではありませんよ?
当然そちらにだってついてまわる命題です。

そこはまぁ拾う事のできる量、規模の差という事ですね。


マリオン、ブラッド、リチャードの三人
フランク、ローラ夫妻
ズバリお金があまりかけられない前提の作品は、
それだけ捨てなければならない物が多く、
最初から何を残し何を捨てるかを見極め、
その上で積み上げてゆく事をしてゆかねばなりません。

そこから考えるとホラー映画というものは、
低予算製作の体制とは本当に相性が良いのです。

よく思い出してみてください。

多くのホラー映画は人、場所その両方においてごく狭い範囲で
片付いている物が多いですよね。

加害者被害者含めてだいたい10人前後の人間が、
限定的な施設や土地の内々でお話を回しているパターンです。

「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」などまさに良い例ですね。
あの立て篭もり劇というのは、
製作側の「できる事」からの逆算で作られている訳です。

若者が僻地へ迷い込み、殺人鬼に追い回される「悪魔のいけにえ」にしても
理屈としてはそれと同じくですね。

つまりモンスターが出現して
人が限定的な閉鎖空間に立て篭もる事になるのも、
辺鄙な片田舎で数名の若者たち等が酷い目に合わされ続けるのも、
実に実に生臭い話ではありますがそういう事情の産物なのです。

まぁ中にはジャンルとして定番化しているそれらのフォーマットを、
潤沢な予算を使ってあえて踏襲した作り方をしているものも
ありますけどね。

それは特殊な例外的なものとして、
大体は可能な範囲のフィールドを選んだ結果
そうなっている物だったりするのです。


さて、例として挙げた2作をご覧になればわかりますが、
そういった制約があろうとも「出来る事」の範囲の仕事がカッチリ嵌れば、
名作と呼ばれる作品が誕生してきます。

足りない予算といった部分を独特のセンスであったり、
創意工夫で埋める事ができたものがそう呼ばれるのですね。
(厳密にいえばさらにタイミングや運の要素も絡んで来ますけど…)
さて、今も昔も変わる事なく、
若い監督たちのギラギラした感性の迸りが
叩きつけられ続けるホラー映画というジャンルですが、
今日紹介させていただく「-less[レス]」という作品。

これだけ絞りに絞った限定的な要素の範囲でも、
充分に魅せられる物を創る事のできる創意工夫の見本みたいな映画です。


ある年のクリスマスの夜。
ハリントン一家に長女マリオンの彼氏であるブラッドを加えた5人は、
毎年恒例の祖母の家でのパーティへ向かうべく車を走らせていた。

ウトウトと居眠り運転をしかけた父、フランクが車を急停止させると、
辺りは見慣れぬ鬱蒼とした森沿いの道。

いつもならば高速道路を走っているはずなのにと妻のローラが問うと、
フランクは「今日は気分を変えようと思って裏道を走った」と答える。

クリスマスパーティに毎年通うようになってから20年。
ずっと同じ道を走り続けてきたにも関わらず、
今日この日、ふと気まぐれに入り込んだ森沿いの道。

それが恐怖と狂気と絶望の幕開けであったとは、
この時ハリントン一家の誰一人気がつく者はなかった…


進めど進めどまるで先の見えぬ闇がひたすらに続く一本道。
他の車も街明かりも見当たらない。

徐々に車中に苛立ちが募り始めて来たその時、
フランクは道脇に赤ん坊を抱いた白い服の女性を発見する。

どうやら怪我もしている様子なので、
携帯電話で救急車を呼ぼうとするも圏外で繋がらない。
とりあえず女性を車に乗せ、
近くの山小屋まで移動して電話を借りようとするが、
目当ての山小屋の電話は不通で使う事ができず困り果てている最中、
突如車中に白い服の女性と共に残っていたブラッドの悲鳴が響く。

フランクたちが急いで車に戻るとブラッドと女性の姿は無く…

と、マリオンの目の前を真っ黒な車が音もなく滑るように通りすぎてゆく。
その後部窓には助けを求めるブラッドの姿が!

一家は急いでその車の追跡を開始するのだった。


ネタバレを回避するとなると
あらすじで紹介できるのはここまでです。

ざっと見た感じですと所謂、
「人里離れた不慣れな土地でグループが酷い目に合う」
という感じの典型的パターンのように見えるのではないかと思います。

象徴的に繰り返し出てくる標識であったり、
赤ん坊を抱いた白い服の女性と不気味な黒い車といった物を見ても、
少し捻った殺人鬼物的な記号が配置されていますしね。

しかしこの映画、そう安泰とパターンを予想できるようなものではりません。
なかなかに捻ってあります。
神出鬼没の赤ん坊を抱いた白い服の女
犠牲者が出る度に出現する不気味な黒い車
ジャンル的に強いて何に近いかと言えば、
所謂Jホラーと呼ばれるものでしょうか?

劇中でフランクが子供の頃に聞いた怪談話を語る場面がありますが、
それもまた典型的な実話系幽霊話で、
そういう湿度高めの現代恐怖譚的な空気の作品ですので、
日本人的感性としてもかなりしっくりくるのではないかと。

真綿で締め付けるような恐怖と狂気への積み重ねは、
Jホラー黎明期のそれのような雰囲気があります。


さて、まことに雰囲気のあるホラー映画である本作の
最大のトピックたる部分は、本編のほとんどが走行中の車内と
森に囲まれた暗い一本道のみで進行する部分です。

もはや場所限定の極みですね。

そんな舞台設定と家族+1の5名を軸に
これだけ面白い物を創る事ができる訳ですから、
本当にたいしたものだと思います。

いやはや、やはり重要なのはアイディアですね。

あと役者さんもすごいですね。
特にお母さんのローラ役の女優さん。

途中一人で色々持って行ってる感があります。
要注目ですよ。
鬼気迫るローラさんの演技はかなり見ものです
兎に角、訳の分からない、不可解かつ理不尽な状況の中で、
一家が恐怖と狂気に捕らわれてゆく様を実に淡々と描きつつ、
最後のオチで膝を打たせつつちゃんと「怖い」のは、
ものすごく高レベルなお仕事だなーと感動しきりです。

特にこの手の不条理系のお話というのは、
時として見てる側にも理解が困難で退屈だと感じられ易くなりがちですが、
こんなに限られた手駒で、キャッチーなお色気シーンや、
ドギツイゴアシーンなどを入れる事なくちゃんと興味を引き続けられるのは、
純粋に采配を振るった監督さんの手腕なのでしょうね。
(ゴアシーンにつていはまず予算の都合もあったのでしょうけどね)

素直にこれは脱帽モノだと思います。

繰り返すようですがそれでいてちゃんとホラー映画として、
怖くできているのが何より素晴らしいところです。


クリスマスの夜のお話ということで全然季節外れではありますが、
まさしく夏の夜に相応しい映画だと思いますので、
ホラー映画好きの方には是非オススメしておきたい一作です。

複数であれこれ予想しながら観るのも楽しいでしょうが、
一人でじっくり浸るのもオツな映画だと思いますよ?

これはかなりのオススメです。


実に生臭すぎる家族間の会話のテンポ感も重要かと思いますので、
吹き替えでご覧になるのがオススメです。

あと、本作もED開始での即切りはしないでくださいね。
繰丸とのお約束です。


では今回はこんなところで。
お付き合いありがとうございました。
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