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過ぎ去りし日々のそれこれ
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「空気を読む」という言葉があります。

ここで言われる『空気』とは、
「その場における要求」だとか
「その集団の共通認識」だとかいった
「暗黙の了解」とでも考えておけば良いでしょうか?

とにかくそのスキルに欠けていると、
どうしても集団という物から取りこぼされがちになります。

aVAshiri自身わりかし身につまされるアレではありますが…

そんな話はどーでもよしとして。

さて娯楽という物には他のどんな構成要素よりも、
そういう「空気を読む」ことが重要視される事があります。

いわゆるジャンルムービーと呼ばれるものほど、
そういう要求が強くなる傾向があるんですね。

要はジャンルとしてきっちり空気さえ読めていれば、
大概許容されてしまうという感じですかね?

逆にそこが欠けていると
それはもうボロクソに批判されたりする訳です。

そこがまた難しいところな訳でして。

一見ゆるゆるで許容範囲が広く見えていても、
その実針の穴を通すようなシビアさが背中合わせ状態なのですから。


さて、今回紹介しようと思い立ったこの『GODZILLA』ですが、
上記の話で云うならば「空気が読めていない作品」扱いをされています。

公式からでさえ鬼子扱いにされています。
ちょっと異常なぐらいに。


ではそれほどまでにこの『GODZILLA』という作品は駄作なのか?
生まれるべきではなかった物なのか?

と、問われれば(aVAshiri的な意見として)それはNOと答えざるを得ません。
古代君も「違う!断じて違う!」と叫ぶ事でしょう。

あぁいや古代君は兎も角。

レジェンダリーさんによるリブートも大成功し、
その世界観がモンスター・ヴァース等の広がりを見せたりしている今だからこそ、
日陰の花ともいうべき本作の再評価を。
そして名誉を取り戻す時が来たのではないかとaVAshiriは思うのですね。



さて本作のひじょーに大雑把なあらすじですが、

ポリネシア近海で日本の漁船が謎の生物の襲撃を受けて沈没し、
パナマでは集落が襲われ巨大な足あとが残されていた。

チェルノブイリで放射能汚染の調査をしていた主人公である変な名前の博士は
米国の要請を受けて強制的にその調査団へと参加する事に。


一方、沈没した漁船の唯一の生存者の病室には、
フランス語を話す謎の男がいた。

「何を見たのか」という男の問いに生存者の老船員は、
しきりに何かの名前をつぶやき続ける。
「・・・ゴジラ・・・ゴジラ・・・」と。


その間にも漁船やタンカーなどを次々に襲撃し続ける怪生物は、
ついにニューヨークに上陸し、その異様を現す。

それこそ核によって生み出された人類を滅びへと誘う新たなる種。
神の獣GODZILLAであった!


と、こんな具合に筋立てとしては実にシンプルです。
「怪獣映画」として特に奇をてらった部分はありません。

ここから米軍とGODZILLAとの戦いになる流れも、
それが一筋縄では行かずに謎の男の出番となるのも、
この手のジャンルムービーとしてはド定番な展開だと思います。

では何故このGODZILLAは「空気読めなかった」扱いされたのか?

それは終始漂うGODZILLAの生物描写という部分ではないでしょうか?

そうです。
本作のGODZILLAは絶対無比の怪物たる怪獣ではなく、
徹底して奇怪な巨大生物として描かれているのです。

最初にニューヨークへ上陸した際の巨大描写も、
従来の怪獣映画とは文法の異なる描写が相次ぎます。

我が物顔で都市破壊を行い、放射火炎で人類文明を蹂躙する…
と、いうような事はせずに、

進行上邪魔な物をなぎ倒したり踏み潰したりする程度で、
ビルの隙間を闊歩するのみですぐに地下へと姿を消すのです。

この辺りは生物としてのリアリズムですね。
無為に何かを破壊してまわるような攻撃性を誇示しないのは、
他のどんな野生生物も同じです。

クマや虎やライオンと云った強力な大型肉食獣も、
むやみに力を誇示する事のリスクを知っており、
必要以上の争いを回避する本能を持っています。

彼らがその力を誇示する時は縄張りを護る為であったり、
食料を得る為であったりと、
基本的に生命活動として必要に迫られた場合のみです。

このGODZILLAもそうなんですね。
ニューヨークへやって来たのは生物としての目的があったからなのです。

そこの辺りも実は冒頭の漁船襲撃の部分から徹底していて、
GODZILLAが攻撃性を見せる時というのは、
その本能としての行動に準じた場合のみなのです。

そこの部分はこの後の米軍との戦いでも同じくです。
このGODZILLA、身の危険を察知するとまず逃げる事を試みるんですね。

常に本能としての目的>外敵の存在という優先順位で思考しています。

ただし突きすぎるとさすがに怒って反撃してきます。
それも野生動物と同じですね。


生物描写とさらにもう一つ、
この映画が徹底しているのが『巨大感』です。

実は今作のGODZILLAは歴代と比較しても、
それほど巨大という訳ではありません。

ゴジラという怪獣はその時代時代の
都市部の主な建造物サイズに併せてサイズが決められ、
街中で暴れても見劣りしない大きさに『設定』されるのですね。

それから考えるとこのGODZILLAはサイズからして
お作法から外れている訳です。

具体的にはこの時点での最新国産ゴジラの
約半分ほどしか無い訳ですが、
それでも大きさ的に見劣りしているかと言えば、
それもまたNOです。断じてNOです。

ここがまた素晴らしいところなのですが、
GODZILLAが画面に出ている時は原則的に「人間側の主観」として、
カメラ位置が決められているのですね。

これ誰視点なの?という状態には基本ならないようになっています。


のちのインタビューなどでは監督はじめ関係者一同、
不本意な企画だったので
適当な仕事をした的なコメントを残しているようですが、
生物描写といい巨大感の演出といい、
aVAshiriの感性としてはかなり丁寧な仕事をしているように見受けられます。

まぁ事実どうだったかは兎も角そういう部分は実に丁寧に、
しっかりした仕事をしてくれているように感じます。


さらに脚本についても、オファーを断る為に提出した
適当なシナリオが採用されたという話にもなっているようですが、

登場人物が多いようで実はわりと無駄のない
シンプルなキャラクター配置など、
そういう部分でも決して悪い仕事はしていないと思います。

ただまぁ確かにヒロインの描写については物思うところはある方も
いるのは理解できますが…

ちゃんと「この流れの為に配置されてたのね」という、
キャラクターたちの収まりの良さであったり、
合間合間に入るベタな小ネタなどのクスッとくる部分など、

これもまた怪獣映画としては決して悪くないと思うのです。

ただそれら全ての要素がファンが求める
「ゴジラ映画」としての文脈とは異なったのでしょう。

一つの野生生物として描かれるGODZILLAも。
それと向き合う実に等身大のキャラクターたちも。
そしてその向き合い方も。

ゴジラ映画というジャンルムービーとしては異端だった訳ですね。

確かにそれはそうだと思います。
一番最初の初代とオール怪獣大進撃と
ゴジラ対ヘドラとゴジラ対ガイガンとゴジラ対メカゴジラぐらいしか
終わりまでちゃんと観たことの無いaVAshiriでもそれは解ります。

その通りゴジラ映画のそれとは異なる文脈の作品ではありますが、
今作の切り口というのは本多猪四郎さん、円谷英二さんのコンビが、
ゴジラ以降に模索していたあまり大きくない怪獣の登場する
単発作品群と近いと言えなくはないでしょうか?

特に大怪獣バランやフランケンシュタイン対地底怪獣辺りの
後のゴジラ映画の文脈とは明らかに異なる
生々しい怪獣描写などを思い浮かべていただければなんとなく
そのニュアンスが理解できるかと思います。


結局それらに登場する生物感ある怪獣たちも、
いわゆる怪獣的怪獣としてゴジラ映画の潮流に飲まれてしまう訳ですが…

実はゴジラの生みの親たちが模索していたゴジラのその次の怪獣像。
(というよりも、「キングコング」的海外モンスター映画に寄せた怪獣像?)
時代を越えて生まれたその後継者がこのGODZILLAだったのかも知れません。

エメリッヒさんがそれらの作品群を観ていたかどうかは知りませんけどね?

兎に角過去国内にもこういう作風の流れは確実にあった訳です。


核がらみの時事ネタが鼻につくかも知れません。
ヒロインに終始イライラさせられるかも知れません。
なにこれジュラシックパーク?って部分に失笑させられるかも知れません。

でもただ鬼子であると封殺されてしまうには、
あまりにも惜しい要素がたくさん詰まっています。
色々なマイナス部分を差し引いても、
充分にエンタメとして楽しめる映画に仕上がってると、
aVAshiriは思うのです。

確かにジャンルムービーとして空気読めない子で、
のちのそれこれでネガティブなイメージで
塗り固められている作品ではあります。

実際aVAshiriも監督のインタビューのせいで
ネガティブな印象を持っていた時期がありますしね。

が、一度色眼鏡を外して観てあげてください。
娯楽映画なのです。頭空っぽにして楽しんでください。

「これはこうでなければダメ」などと最初から四角四面に決めつけず、
お菓子とジュースかお酒などを傍らに置いて肩の力を抜いて。

きっと観終わる頃には
「なんだ言われてるほど悪くないじゃん」となってる事だと思います。

(ラストで「なんだお前?何いい感じになってんだヨ?」とか
ヒロインに突っ込むのもまた「良し」です。)


レンタルなどで安く観る事ができるタイミングで構いません。
少しでも興味が湧いた方は是非手にとってみてください。


この作品で大暴れしているのも紛れも無く”神(GOD)”の宿る獣。
”GODZILLA”に間違いないのです。

誰かがその冠を勝手に外したりしてよい訳はありません。


では今回はここまで。
お付き合いありがとうございました。

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